気〜

 誤解を承知で書くと、最近「気」ってのはあるように感じてきた。
 「気」って言われると胡散臭く感じるかもなんだけど、確かに何となくこうじゃないかなって事をやってみると意外と上手くいってるし、誰でも「気」に該当する効果はわかっていて何気に使っている物かもしれない。つまり、取り立てて特別でもなければ有触れてはいるのだけど、仲良く付き合っているかは別、みたいな?
 正直な所、全然的外れかもしれないけど、意識の一つの形態が気だったり、単に大気が気だったりするのかも。体の一つの形かも?
 雰囲気が悪いと調子が出ないのは、雰囲「気」に体のリズムが崩されているから、とも言えるし、すると逆に体のリズムがどういう状況でどう変わっていくのかを把握しておけばどんな状況でも最善の状態で動けるのかなとか。
 そしてそこに他者がいるなら、どのようにすれば自分の都合の良いように「気」をコントロールできるか、ってのもありえる。
 少なくとも、自分の体がどのようになっているかはじっくり踏み込んでいかないとなかなか分からない事だから、それはかなり大変で容易ではないけども、日々感じるようにしていけばどんどん理解できるってことになる。
 こう考えると、スポーツとかでも言われている色んな事と重なってくると思う。
 表現の違いは、結果から原因を探るか、原因から結果にどう結びついていくかの差で、それのどちらも必要だと思う。
 まあ大した話じゃないけど、そんな感じでした。